生きる意味

 生きる意味は特にないです。ですが、死ぬ理由もないので生き続けます。

 

 病んでいるわけではなく、ここ最近一人になることがあまりなくて久々に一人で夜風に当たりながら黄昏ているのですが(屋上の真ん中 で君の心は青く香るまま)どうも、自分自身に明確な答えを出せてない気がしました。

 

 私情ですが、ここ最近ある別れをしたので毎晩枕を濡らしながら写真を遡っていたのですが、その時は何も思わず時折ふと思い出し泣きたくなることがあります。

 

 僕と言う人間は、感情が追い付いたり追い抜かしたり追い付かなかったりと、一言で言うと謎です。相坂優歌さんの休止発表の時は、「しばらくすれば帰ってくる」と余裕を多少見せていたのにリトマス紙の最終回をリアルタイムで聞いてるときは、わけわからないくらい泣いてました。あの時は、大学にいて四階にある部室のソファでうずくまってた気がします。

 

 前置きが長いんですけど、要するに「物事の重要性を理解するのが遅い」のです。

 

 レポートの締め切りが迫ってから危ないと感じたり(今もそう)ライブ開演5分前くらいに「ああ、ライブするんだ」となったり、アニメやら小説を読んで数時間後に面白かったなあ」と言ったり。

 もちろん、見終わった瞬間に「よかった!!」って言い始める時もありますけど、自分ではよくわからないです。自分で分からないなら他人がわかるはずもないので、解明されることはない気がします。

 

 自分自身を理解できないのは最近とても辛いですね。常に思ってるのがどうして、こんな拗れたオタクになってしまったかですよ。

 同世代が面白いと感じるものに興味をあまり示さず、尖っていき斜に構えすぎた結果。マイナーな部分でしか価値を見出せないような面倒くさいオタクになりました。

 これの何が悪いかって、ライブに行くと楽しくないことですよ。

 聞きたい曲であっても同じで、キャラソンだったり何年か前のカップリング曲だったりとライブで歌われないような曲を好んでしまい、いざライブに行くと歌われないわけだから、楽しくない。

 だからこそ、歌われた時に自我を失うくらい楽しくなってしまうんですけど、これは貴族の遊びすぎるし自分自身にもよくないんでやめることにしました。

 

 これからは、「この歌手のこの曲が好き」ではなく「この歌手が好き」と思うようにして、ワンマンにだけ行くようにする。

 これが。2019年の僕のオタクとしての目標ですね。

 要するに、イベ減をする宣言です。

 

 なので、相坂優歌さんの復帰を待ち続けます。